地元密着28年ウイングビルド

神奈川県央・横浜・川崎・東京のお客様に対応中
地域No.1 年間実績件数300件以上

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手塗りで元通り!元祖 本物外壁塗装専門店

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営業時間 7:00〜19:00 / 日曜日定休

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COMPANY

情熱社長の企業の想い

MESSAGE
父の遺言が教えてくれた“本物の外壁塗装”とは・・・
地元生まれ。
皆さんに育てられて28年。
塗装専門店 代表親方
若林 均です。
地元の皆さんに育てられた
塗装専門店としての誇りと使命

 「安心できる業者を選びたい。」それが、地域の皆さんの願いでもあると思います。
 しかし、チラシや名刺に住所はのっていても、実際にはマンションの一室だったり、コンテナ倉庫だったり、営業の専門業者だったり、 高額な報酬歩合を貰うためだけが目的の訪問販売のセールスマンの人達という話は良くあります。極めて非常識な塗装業界の常識です。そんな業者がいくら「保障をつけます」と言っても信じられません。

 塗り替えは、安い物ではありません。大切なお金です。事前にしっかりと依頼する会社の確認をお勧めします。私の会社は小さなボロイ事務所ですが、日々たくさんの方が事務所にお越しくださっています。
 現在職人社員数15人神奈川県を代表する専門店となりましたが「初心忘れるべからず」28年目の今もこれからも、「仕事きっちり」の職人精神は何ひとつ変わりません。 27年間地元の皆さまに育てられた塗装専門店のありのままの姿を是非一度ご覧ください。
 私には、地元で育った専門店としての誇りと使命があります。

代表親方 若林 均

起業の心の支え

父の遺言が教えてくれた“本物の外壁塗装”とは・・・

 「いつか我が家を塗り替える時には、均(ひとし)の会社に頼もう」。今から22年前(私がまだ29歳の頃)に61 歳の若さで急逝した父が、生前、母に話していた言葉だそうです。
 「私にではなく“会社に”・・・」。父が他界した後、いよいよ実家を塗替えることになった時、母から聞かされた「私の会社に」の意をくんだ私は、まず母 に「家に対する想い」等をトコトン聞き出すことから始めました。母の話を聞けば聞くほど、話に引き込まれ感 動している自分がいました。「こんなに想いの詰まった現場をこれから塗替えるんだ」。

 この感動を職人たちに伝え、段取りを依頼しました。すると職人たちそれぞれアイデアを出し、最高のおもてなし工事について考 え始めてくれたのです。彼らにも想いが伝わった瞬間でした。いよいよ工事開始。「想いの連鎖」は、母にまで伝わり、 毎日現場ではつらつと作業する職人たちの姿に感激し、おもてなしをしてくれました。
 少々やり過ぎの感はありましたが、職人たちの想いは、確実に母に届いていました。

 まだまだ続いた「想いの連鎖」。最後には、私の女房まで。私たち夫婦は一度、母と同居をしたことがあったのですが、なかなかうまくいかずすぐ に別居してしまった苦い経験がありました。その女房が、塗替え工事が始まって以来、毎日母のことを話す 職人たちの姿を見て、彼女自身が子供を連れて、せっせと実家の母の所に顔を出してくれるようになったのです。
 「均の会社に頼もう・・・」。このたった一言から始まった塗替え物語。終わってみればそこに関係するすべての人たちが想いを共有して、 そして1つになって見事完成させた、まさにおもてなしの証です。

 たかが塗り替え、されど塗り替え。塗り替えリフォームには、絆を結び付ける底知れぬパワーがあったのです。 あれから22年。私は、このパワーの虜(とりこ)です。塗替えリフォームをお考えのあなたの想いは何ですか?
   私たちウイングビルドは、地域に根付く職人仕事と日本の心を守るために、本物の、そして本当の外壁塗装 を最高の職人たちと共に地域の皆様にお届けし続けています。

妻との二人三脚でのスタート

四畳半の台所事務所が私たちのスタート(代表親方の妻 由里の話)

 思い起こせば23年前、私たちのスタートは借家住まいの自宅のわずか4畳半の台所が事務所でした。長男がいたずらする中、主人と2人だけで始めた塗装店。 主人は、職人気質何やるにしてもストレートな性格で、必死に付いてきた私は、いつもハラハラドキドキ。ただただ主人の後を追いかけていく日々でした。

 創業当時には、今の姿はとても思い描けませんでしたが、今では毎日のように頂戴する「お客様の喜びの声」。 いつも一生懸命な職人さんが、がんばった証です。毎日本当にたくさんの笑顔と出会える会社になりました。

 そしてこれからももっと素敵な出会いに心がワクワクしています。恥ずかしながら、私も太鼓判を押します。

四畳半写真

地元「綾瀬」への想い

「綾瀬なんか行きたくない…。」

当時、中学校1年生だった私は、一家の綾瀬への引っ越しに大反対でした。
電車がない、大きなデパートもない、あそぶところもない…。横浜生まれ、大和育ちの思春期の私には、どうしても「田舎の綾瀬」は、好きになれなかったのです。 そんな後ろ向きな気持ちでスタートした、私の綾瀬の生活。何かに打ち込みたい一心で入部した野球部。そこで出会った「綾瀬の人たち」がその後の私の人生を大きく変えてくれました。

「同じ志を持って励まし合った、かけがえのない仲間たち」
「とにかく情に厚くて、厳しくて、でも心はとても優しかった先生や大人たち」。
”人の心と本当の優しさ”を教えてもらったのは「綾瀬の人たち」からでした。

あれから30年。
地元「綾瀬」で暮らしている私の仕事は塗装屋です。
今日に至るまでも、大勢の綾瀬の方々に支えられてきたお陰で、今では堂々と「外壁塗装のプロ」を名乗れるまでになりました。
塗装で綾瀬に恩返し」。

私は「綾瀬の温故知新」で塗っています。
何もなかったけど、人の温かい旧き良き時代の綾瀬の面影を残しつつ、未来の新しい綾瀬にも調和するように、全て職人の手塗りで想いを込めて。
私の心を育んでくれた綾瀬。
こんなすばらしい「綾瀬の心」を今度は私たちが伝えて行く番です。

”手塗りで元通り”
綾瀬は、今も昔も、私の故郷(ふるさと)です。

代表親方 若林 均(ワカバヤシヒトシ)プロフィール

いつもありがとうございます。
私が社長の若林 均です。
代表親方 若林 均

昭和42年生まれのうお座です。 「二級建築士」です。 野球が大好きで、週末は地元中学生の野球チーム「綾瀬ボーイズ」の監督として一緒に汗を流しています。綾瀬ボーイズもぜひご支援ください。 リンク先⇒綾瀬ボーイズ

宝物
家族(妻と娘と息子と愛犬)、会社の仲間たち
好きな芸能人
  • 中井 貴一
    NHK大河ドラマ「武田信玄」での演技力と、自信も志高く、努力家で、心豊かなところが好き
  • 桑田 真澄
    目標達成に向け、どんな逆境になっても常に努力を惜しまないところ
好きな言葉
「球けがれなく道けわし」
小学生の頃に読んだ、水島新司さんの、「球道くん」の名前の由来となった言葉。私自身、今でも壁にぶつかった時には白球を見つめて心を落ち着かせています。
免許

しっかりと免許を持ち、許可を受けて正々堂々と現場を管理しています!

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