親方通信

BOSS

17)会社設立まで

平成4年、25歳で独立

高校を中退したあと、てっとり早く稼ぐために建設業界に入りました。その時には、この業界に魅力を感じていたわけでもありませんでした。とくに目標のようなものも無かったのです。
そして、十代で最初の仕事は、鳶職専門の職人の見習いで高校を横に出て、建設現場で働くことになったのです。
二十三歳で中学の同級生だった現在の妻と結婚しました。その後平成四年、二十五歳で独立し、当初は建築の鳶と塗装の会社として、「ウイングビルド」という会社を起ち上げたのです。
建設業界のなかで、雄大に羽ばたき天を翔ける存在になりたいという思いをこめ、翔(ウイング)+建(ビルド)というネーミングにしました。

その後、塗装にシフトしていくことになりましたが、「ウィング」の「ウィン」は、その頃に学んだ言葉で、「ウィンウィン(WinWin)」、つまりお客様と社員、そして地域とがみんなが勝つ、みんがな満足する関係をつくるという意味も加え、「ウィンウィンウィン=当社・お客様・地域」と三回繰り返していました。

独立したきっかけは、妻にきちんとした台所を自分の手で作ってやりたいという思いからでした。
結婚した当初、うちの女房は料理も家事もなにもできなかったのですが、日々本を読んだり、人に聞いたりしていろいろ努力して、さまざまな料理や家事ができるようになっていく。
そのような姿を見ていて、この女房のためにいい台所を作ってやりたいと思うようになったのです。まあ、台所だけ作ってもしかたないので、当然家も建てなければならないということで、決意して独立を決めたのです。

まだ実力的に充分ではなかったにしても、当時はまだバブルの余韻があり、建設業界もまだまだ忙しかったので仕事はたくさんあったのです。

それに加え、みんなで何かをやりたい、そういう組織をつくりたいという、私の少年期からのクセのようなものが一気に出て、一念発起して会社を立ち上げることになったのです。
ところがここでまた、問題が発生したのです。起業して三、四年したところで、わかりやすく言えば労務倒産的なことが発生してしまいました。私は、いったん思い込むと周りが見えないほど集中してのめり込んでしまう人間で、少年時代には、遊びに夢中になっておしっこをするのを忘れて洩らしちゃったくらいでしたから。そんなことで、仕事を始めてからも、一生懸命になるのは悪いことではないんですが、周りのスタッフのことが見えてなかったのです。自分の思いだけで突っ走ってしまっていたんですね。